2016年4月のコソボ、マケドニア旅行に続き、2017年4月はセルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに行きました。
クロアチアとスロヴェニアは大昔に行っていたので、色々見逃した見どころはあるとは言え、旧ユーゴスラビアの旅はこれでコンプリートしたことになります。
今日はユーゴスラビアの旅を振り返ってみたいと思います。
ユーゴスラビアは連邦存在時、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」という語呂の良い表現がありましたが、この言葉が示す通り、非常に統治の難しい場所だったのだろうと推察されます。
第一次世界大戦以前にも「バルカンの火薬庫」と呼ばれていた民族関係の複雑さは、その後、第一次世界大戦を引き起こす遠因ともなります。
実際行ってみると、国ごとにというより、正確には主に民族毎にだと思いますが、宗教も生活習慣も何もかもが違っており、川を渡っただけで並んでいる建物の造りから違う万華鏡のような多彩さが観光客にとっては魅力です。
しかしながら、現地の住民にとっては、その多彩さ故に紛争となっており、民族意識というものの難しさを感じさせます。
民族ごとに集まって住めばそんなにいざこざも起こらないような気もしますが、長いことその地に住んでいる人たちにとっては、先祖代々の地を離れるというのも暴論なのでしょう。大人の事情的な数合わせ、帳尻合わせというわけにはいかないのが実態です。
そう考えると、35年という長きに亘って、このような複雑な国を曲がりなりにも平和に治めていたチトーは、非常にバランス感覚に優れた政治家だったんだろうなと思います。ただ、あまりにチトー個人の能力に頼り過ぎ、システムとして確立できなかったため、死後すぐに崩壊したということでしょう。
最も、ユーゴスラビア時代に民族間の混血が進んで、複数のルーツを持つ人も増えたとも聞いており、そんなところにこの複雑な状況を打破するヒントが潜んでいそうな気もします。
各国をほんの数日旅行しただけですが、どこの国も印象深い場所や物があり、親切な人も不機嫌そうな人も色々な人がいました。
どこの国が一番、というのは私には決められないですし、濃淡はあれど、どこの国も再訪してみたいと思っています。
願わくば、再び訪れるときも、これらの国が平和に旅できる国々でありますように。





コメント