すこし前に紹介した通り、中国の武侠小説の雄 金庸が亡くなりました。
彼を偲んで全作読み返し始めたのですが、やっぱり面白い。何か事件が起こってその決着が着くまでの展開のジェットコースターと結末の痛快さはさすが金庸です。
折角なので、再読終わった順に紹介していきたいと思います。
なお、今は手元に『書剣恩仇録』がないので、『碧血剣』からになります。
『碧血剣』あらすじ おいしいとこ取り
金庸のストーリーラインは分かり易いのでまとめ辛いことはないのですが、それよりも初読の時の驚きとワクワク感・ハラハラ感を味わっていただきたいので、ここではネタバレ無しでいきます。
時代は17世紀、明朝の支配に終焉が訪れようとしている時代。無実の罪で皇帝から死を賜った父・袁崇煥のため、主人公・袁承志は武術を習得し、復讐を誓って、江湖をさすらう、という話です。
金庸と言えば、なにより展開の密度とスピード感です。この作品で私がワクワクして止まらなくなり、夜更かしになった箇所は、
- 欲に目のくらんだ温家に仕掛けられた、未だかつて誰にも破られたことのない八卦陣を、袁崇煥はいかに脱し、温青を助けるのか
- 焦公礼と閔子華の因縁はなぜ生まれ、袁崇煥はどうやって仲裁するのか
- 対立する盗賊 程青竹と沙寨主から、金蛇郎君の隠した財宝をいかに守るか。また、彼らの間の因縁を解き、彼らを含む江湖の盟主となるまで
- 本来目上にあたる師兄 帰辛樹とその妻帰二娘に嫌われるまでと、その後なんとかなるまでの経緯
- 暗殺を試みたホンタイジとのやりとりと、彼を守るめちゃくちゃ強い俠客との死闘の結果
- 五毒教による突然の襲撃と温青誘拐の顛末。何紅薬が温青を憎悪する理由
- 五毒教、温家も関与した崇禎帝暗殺の顛末と皇帝の最期。何鉄手の意表をついた行動の理由
- 金蛇郎君にまつわる温家、五毒教の因縁の結末
- 玉真子の正体と再戦の結末
ネタバレを避けるために、これでもかなり端折って書いているのですが、それでも文庫本3巻とは思えないボリュームがあります。
また、金庸といえば、複雑な人間関係の裏に隠された様々な謎とそれが明かされていくさまも楽しいですが、この本の中でも、例によって以下のような謎が徐々に明かされていきます。
- 温青とは何者なのか。なぜ温家で冷遇されているのか?
- 謎の俠客 金蛇郎君、彼と温家、五毒教との因縁は?
- 阿九は何者なのか?
- 玉真子は何者なのか?
- 何紅薬はなぜ温青を憎悪するのか。彼女と金蛇郎君の因縁は?
こんな感じでしょうか。主人公が一番謎が無いです。
『碧血剣』つっこみどころ
史実要素が増えると面白さがパワーダウンする金庸小説
金庸の小説は、歴史小説の要素を色濃く持ってくると、途端にパワーダウンしている印象があります。
史実上の実在の人物に架空の人物を絡め、歴史に則って話を進めるのは金庸の得意の手法ではありますが、史実を変えるということはしないため、そこに話を寄せていくと、わりとモヤモヤした展開になることがあります。
私の中では、金庸のデビュー作でもある前作『書剣恩仇録』がその最たる例で、この話では悪役はどちらかというと乾隆帝で、史実でも乾隆帝はそこでは死なないので仕方ないのですが、最後が非常にモヤモヤした記憶があります。
この『碧血剣』も、モヤモヤ度は前作ほどではないですが、明朝が倒れ、袁承志が支援していた李自成が天下を取ったところで終わっているものの、清朝の到来が目前に迫っていることを匂わせる終わり方をしています。
史実では李自成は40日天下と言われる通り、あっという間に清朝に倒されましたし、物語中、一貫して明・清の両朝に敵対してきた袁承志としては、どっちに仕えるわけにもいかないから、こういう終わり方しかないかなとは思うものの、印象としてはブチっと切られた感はあります。
金庸は、この次の大作『射雕英雄伝』から特定の時代を背景とし、実在の人物も登場させるものの、話の軸足は創作部分に大きく寄せるようになりました。金庸の評価は『射雕英雄伝』で確立された感がありますが、やはり創作の方がなんでもアリで面白い結末にできるということと、どうせ読むなら小説の中くらい、最後は勧善懲悪ですっきりしたいという中国人の思想的好みもあったのではないでしょうか。
水戸黄門的安心感です。
金庸小説の主人公の中でも、『碧血剣』の袁承志は完璧すぎ
金庸の主人公といえば、武芸が強く(もしくは最初はそうでもないけど、なんらかの原因で途中から無敵になる)、義に厚く、情もあり、ストイックでという性格付けが多いです。
金庸の主人公と言えばこれです(『鹿鼎記』の韋小宝を除く)。
しかしながら、どこか抜けてるとか、人が良すぎるとかいうマイナス点があり、それが主人公の魅力にもなっています。『射雕英雄伝』の郭靖なら愚鈍、『神雕剣侠』の楊過なら気性が激しい、『笑傲江湖』の令狐冲ならお人よし、と言った感じです。そんな主人公の抜けてるところを、賢いヒロインが補完して主人公を助け、関係が深まっていく恋愛小説としての見どころも備えています。
『碧血剣』の袁承志も例によって、江湖に出たときからほぼ無敵、義に厚く、情もあり、ストイックという要素は全て抑えた上に、あまり激昂することもなく冷静沈着で、ヒロインのわがままをすべて受け止める広い度量を持った人格者と非の打ちどころが無さすぎます。ヒロインの根性が悪いので、なおさら際立ちます。
一応、学がないことを恥じる発言があったりしますが、皇帝を暗殺する絶好の好機に、「今、皇帝を殺しては清朝の思うままだ」と、恨みを追いやって大儀を考えることのできる賢さと冷静さを備えています。
ちょっと、これは完璧すぎなんじゃないでしょうか。金庸の主人公の中でも破格の完璧ぶりだと思います。
個人的には、根性の悪すぎるヒロインに対して、手をあげろとまでは言わないのですが、毅然とした態度で接するくらいあってもバランス的には良かったと思うのですが、それだとさらに完璧化に磨きがかかるだけでしょうか。
関係ありませんが、女性キャラとしては、クセの強い何鉄手の方が好きでした。強く美しく、なかなか残酷な性格で、でも、男装しているヒロインを男と間違えて恋した結果、五毒教を裏切ってしまうというドジッ娘属性も持ち合わせており、隙がありません。
『碧血剣』まとめ
というわけで、『碧血剣』いかがでしたでしょうか。
金庸の中では初期の作品だけあって、他の大作に比べると物足りないところがありますが、異民族による中国の征服とそれに対する抵抗、武林各派間の抗争、男女間の恋愛といった、金庸の特徴の多くは既に現れています。
一方、キャラクターの魅力、絡んだ糸がほぐれていくかのようなストーリー展開は、本作の後も進化を続け、『笑傲江湖』で江湖ではなく、中国文学界を制した感があります。
金庸の初期の名作、ぜひ読んでみてください。
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