ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、旧ユーゴスラビアの内戦が終わって20年経つ今でも、複雑な政治形態、体制、民族構成を維持している国です。
旅行で訪れる分には特に問題はないのかも知れませんが、知らないよりは知っておいた方が旅もより充実したものになりますので、紹介しておきたいと思います。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナってこんな国
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都はサラエボです。サラエボは、第一次世界大戦の発端となった、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻暗殺が起こった場所として世界史にも出てきますので、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとサラエボがリンクしてない人でも、サラエボの方は分かるのではないでしょうか。
この地域の歴史は複雑で、古くはローマ帝国の一部であったり、複数の王国が乱立している時代がありました。ボスニア民族としては初めて統一国家が成立したのは12世紀後半で、ボスニア王国として現在のボスビア・ヘルツェゴヴィナ全域を統治しました。ボスニア王国は、独自のボスニア教会を設立しますが、ローマ教皇庁からは異端とみなされます。
その後、ボスニア王国の弱体化に合わせて勢力を拡大してきたオスマン帝国が攻め入り、15世紀後半までにボスニア・ヘルツェゴヴィナ全域はオスマン帝国の支配下に入ります。同時に、ローマ教皇庁から弾圧を受けていたボスニア教会教徒はこの時期にイスラム教に改宗します。現在、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでイスラム教徒が多いのはこのような背景があります。
19世紀後半にはオスマン帝国の衰退に伴い、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国の勢力争いと、独立を目指す民族主義による蜂起・反乱により、モンテネグロ・オスマン戦争、露土戦争が起こります。1908年にオーストリア=ハンガリー帝国がボスニア、ヘルツェゴヴィナ全域を併合したことが一因となり、第一次世界大戦が勃発します。
第一次世界大戦後、新たにセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(通称ユーゴスラビア王国)が成立し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナもその一部となります。
第二次世界大戦では、ナチス・ドイツの傀儡国家であるクロアチア独立国の支配下に置かれますが、セルビア人を大量虐殺するなどしたため、セルビア人も「チェトニック」と呼ばれるセルビア人以外の民族を迫害する組織を組成し、バルカン半島には民族浄化の嵐が吹き荒れます。この混沌とした状況は、チトー率いる汎民族抵抗組織パルチザンの勢力拡大の原動力ともなり、戦後はチトーによるユーゴスラビア連邦人民共和国が成立することになりました。
ユーゴスラビア連邦は、クロアチアやセルビアなどの特定民族からなる6共和国から構成されることになりますが、他民族による混住が進んでいたボスニアは、特定民族による共和国ではなく、地域の呼称としてのボスニア・ヘルツェゴヴィナ社会主義共和国になります。このような背景もあり、ユーゴスラビア時代に多民族間の混住、結婚が一番進んだのがボスニア・ヘルツェゴヴィナと言われています。
しかしながら、チトーが亡くなり、ユーゴスラビア連邦の崩壊が進むと、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでも、セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(イスラム教徒)による民族対立が表面化し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が起こります。
1995年に国連の調停で紛争は終結しましたが、その結果、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、ボシュニャク人とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦と、セルビア人主体のスルプスカ共和国の2つの構成体からなる連合国家となりました。
現在、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国政は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦とスルプスカ共和国それぞれ別に置かれた議会によって成り立っており、国内の各自治体は、一部例外を除き、どちらかの構成体に属しています。
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国家元首は、主要3民族から選ばれた代表者によって構成される大統領評議会で、議長は8か月ごとに輪番で交代する仕組みを取っています。
このような状況下では、民主主義の手段である選挙が民族主義を助長し、民族対立は完全に解消されたわけではなく、国際社会が設置した監督機関 上級代表が強力な内政介入権を持って監視しています。
ユーゴスラビア解体時に各国で起こった紛争と、それにに端を発した民族浄化の思想背景、現地で実際に何が起こっていたかについては、この辺りの本に詳しいので、行く前に一読されることをおススメします。
表面上平和に見えても、本質的には何も解決されていないことが分かります。
また、紛争時は、セルビア人が他民族を迫害しているという構図が出来上がり、世界的にもセルビア悪玉論が吹き荒れ、非難が集まりました。しかし、これも現在ではアメリカの広告会社のイメージ戦略だったことが分かっています。
この背景はこの本が詳しいです。この本はまさにボスニア紛争時の状況を描いており、アメリカの広告会社がボスニア共和国をクライアントとして、セルビアのイメージダウンを図る様が描かれ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに行くなら是非読んで頂きたいです。
アメリカの証券会社には「遠くの戦争は買い」という言葉があるそうですが、国際世論を動かし、イメージを作り上げることで、戦争の結果さえも決めることが出来るという、現代の情報戦の恐ろしさが分かります。
祝祭日が統一されてない
旅行で短期間訪れる分にはあまり影響はないかも知れませんが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは祝祭日を定めた法律がありません。
セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人間で合意が取れていないためだそうです。
私が海外に行く際によく祝祭日を調べるサイトでも、1/1-2、5/1-2がPublic Holidayになっている以外は、地域別祝日として記載されています。
一応、おおまかな見方としては、Orthodox(正教会)とあるものが、セルビア正教を信仰するセルビア人を中心とするスルプスカ共和国の祝日、CatholicやIslamicと記載のあるものが、カソリックを信仰するクロアチア人とイスラム教徒のボシュニャク人のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦の祝日です。
一方で、3/1のIndependence Day (独立記念日)は連邦だけの祝日であり、恐らくこれは、ユーゴスラビアから独立したくなかったセルビア人が同意しなかったため共和国側では祝日ではないのだと思いますが、このような違いにまだまだ闇の深さを感じます。
いずれにせよ、上述の通り、どちらの構成体に所属するかで祝日が違います。各種施設の営業日等も異なりますのでご注意ください。
また、他の都市はあまり問題ありませんが、サラエボだけは、観光で訪れる場所は大部分が連邦側ですが、東サラエボ・バスターミナルのように、一部地区が共和国側に属していることもありますので、その点もご注意ください。
交通手段はバスが便利
重い話が続いたので、旅行らしい話に戻ります。
旧ユーゴ圏の国では毎回同じことを書いて恐縮ですが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの移動はバスが便利です。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナのバスを調べるにはこのサイトが便利です。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内は一部鉄道が走っていますが、利便性はまだまだ劣ります。
観光客にとって使えるのは、サラエボ・モスタル間くらいかと思います。一応、一日2便走っており、所要時間も2時間弱、バスの半分近い値段設定が魅力ではありますが、時間の正確性といった信頼性の面で劣ります。

私は試してないのですが、Visaかマスターカードのクレジットカードがあれば、上記Webからチケットが事前購入できるようなので、鉄道利用を予定している方は試してみても良いかも知れません。
なお、上記Webはボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦鉄道のものです。
スルプスカ共和国の鉄道は別にあり、Webサイトは以下になります。観光で使えそうな路線がないため、かつ、言語がボスニア語しか用意されていないため、私は解読していません。どこまで使えるか分かりませんが、参考までに載せておきます。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナはトマトを使った料理がおいしい
バルカン半島の料理は、その成り立ちの経緯もあって、どの国でも同じようなメニューをカバーしているのですが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナではトマトやパプリカを使った料理をよく見かけ、実際、おいしかったです。
写真はバルカン半島ではよく見るムチュカリツァ。トマトとパプリカで肉を煮込んだものですが、濃厚なシチューの味がサワークリームの酸味と相まって、一皿ペロリでした。
もう一つ、こちらはサラエボで食べたボスニアの家庭料理です。玉ねぎやパプリカ、ズッキーニなどの野菜の中に肉を詰めて煮込んだものです。ロールキャベツもあります。
これは、私がどのメニューにするか決められないでいると、シェフの女性(というか、肝っ玉母さんっぽい人)が来て、メニューにはないけど、各種野菜の肉詰めという特別メニューを用意してくれたものです。(メニューでは1メニューは1種類の野菜の肉詰めに限定されていて、複数種類の野菜のものはない)
私が食べたのは、サラエボのSrebrena Skoljkaというレストランで、市場になっている建物の2階にあります。
「どれもちょっとずつ食べたい」というと、たぶん、同じことをやってくれると思いますので、是非お願いしてみてください。どれも文句なく美味しかったです。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ旅行で注意すべきこと まとめ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ旅行で注意すべき点をまとめてみました。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ旅行中、ずっと雪に降られて寒かったので、私自身もあまり堪能できていません。
是非また行って、このページも更新したいと思います!


コメント
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