外国に外国人として生きること

バンコク

今までも何回か触れてきましたが、私はシンガポールとタイに長期滞在経験があります。

そのときの経験から言うと、外国に外国人として住むことは非常に楽でした。

 

どういうことなのか、自分なりに考えてみました。

 

外国人だから許されるタイ

 

まず、タイとシンガポールでは楽だと感じた理由が違います。

 

タイはタイ族が75%、中華系が14%、残りはその他少数民族が占める国ですが、中華系といっても華人としてのアイデンティティを持っている人は少数派で、中華系タイ人としている人がほとんどです。

また、国民の大多数が公用語であるタイ語を話します。以降の話を簡単にするために、話をバンコクに絞りますが、バンコクにいるタイ人はルーツに関わらずタイ人を自称し、ほぼ全員タイ語を話します。

 

そんな、ほぼ単一民族・単一言語・単一宗教(タイは上座部仏教が95%)からなる国ってどこかに似ていませんか?

 

そう日本ですね。

 

そんなわけで、日本にいると日本人の私も、タイに行くと完全に外国人です。日本にいる外国人と立場としては近いのではないかと思います。

 

見た目からは分からないので、よくタイ語で話しかけられますが、タイ人の言っていることが100%理解できるわけではなく、タイ人の「common sense(この場合は「常識」と訳すのが良いでしょうか)」を持っているわけでもないので、すぐ外国人と気づかれます。

 

この状態の何が楽かと言うと、「外国人だからタイの常識が通じなくても仕方ない」という状態が許容されることになります。

 

ただし、日本で外国人に接しているときに諦めに似た感情を抱いた経験のある人は分かるかと思いますが、外国人だからと言う理由だけで諦められている側面もあり、この状態を放置するとそれ以上仲良くなれる気がしません。

 

なので、私としては、自分が誠実に接したいと思う人に対しては、タイ人がどう考えるか・どう振る舞うべきかを聞くようにしています。

そうでない人には特に何もしないのですが、外国人だからという理由で、向こうからスクリーニングをかけて近づいてこないのは、煩わしい付き合いが減って、やはり楽であるように感じます。

 

「外国人」という概念が希薄なシンガポール

 

シンガポールは他民族国家、かつ、2015年に建国50周年を迎えたばかりのまだまだ若い国なので、国民全体に共通する「common sense」がなく、お互いにコミュニケーションしなければ、何が欲しいのか、何を言っているのか理解してもらえません。

 

この点はアメリカに似ていますが、アメリカが自己主張を戦わせることで互いにコミュニケーションを図るというよりは、自分の主張を相手に理解させようとしてきたのに対し、シンガポールの場合はお互いに気を遣いあうことがコミュニケーションの前提になっているように感じます。

 

これはどちらが良いと言う気はなく、ただそうだと感じた、というものです。

 

さらに言うと、アメリカが多民族国家とは言え、比較的文化の似ていた白人中心に築かれた生活習慣がベースになって既に250年経過しているのに対し、シンガポールの多数を占める、中華系・マレー系・インド系は生活習慣も食べるものも言葉も宗教もあまりに違い過ぎ、しかもまだ50年しか経っておらず、融合していないため気を遣わざるを得ない、のではないかと思います。

例えば、シンガポールでパーティなどのイベントがあるときは、何も言わなくても必ずベジタリアンやハラルメニューの用意があります。

 

ただし、シンガポーリアンの間では、中華系・マレー系・インド系の間の対立こそないものの、混ざりあうことも少ないように思います。

実際には、中華系・マレー系の間はニョニャと呼ばれる独自の文化があるなど融合が進んでいますので、インド系が他の民族と融合しないというのが正しいかも知れません。これは、宗教・食生活に独自色が強いことに加え、保守的な考え方の人が多いため、毎日の食べ物も伝統的なインド料理しか食べない、結婚するならインド人同士でという考え方の人が多いためと思われます。

 

そのような環境のシンガポールに住むと、「外国人」という感覚が希薄なように感じます。

「そもそものシンガポーリアンも主に3民族から成っていて、何もかもが全然違う、違っていて当たり前。自分たちも最初は外国人だったんだし、それが何か問題?」という感覚でしょうか。

 

実際、シンガポールで働いていたときに、「外国人だから仕方ない」というような諦めを感じたことはありませんでした。「自分たちはこう」というのに対し、「私はこう思う」という意見をぶつけて、着地点を探る形です。そういった調整の際に必ず入るのが、お互いの立場や背景に気を遣ったやりとりです。

もちろん、そうでない人もいますが、少なくとも私が一緒に仕事をしてきたメンバーは、中華系・マレー系・インド系・その他、いずれもいましたが、そういうやりとりをする人たちばかりでした。

 

日本人からすると、外国にいるはずだけど、外国人扱いされない稀有な国で、そのために必要以上に闘う必要もなく、やはりこれはこれで楽でした。

 

外国に住む上で考えなければならないこと

 

日本以外の国に住む日本人の間でどうしても話題になるのは、差別問題かと思います。特に欧米は、アメリカは言う間でもないですし、ヨーロッパでも特に強国は、アジア人を一段下に見る風潮は残念ながらあるように感じます。旅行していても感じることがあるので、住んでいればなおさらでしょう。

 

この点、アジアでは日本人に対する差別はないように感じます。

 

バンコクのタニヤでの日本人の傍若無人な振る舞いに、一部タイ人の間で日本人の評判が悪いといったことはあるようですが、概ね対日感情は良好で、少なくとも差別は感じたことはありません。

 

シンガポールはそもそもの他民族国家で、差別をすること自体がブーメランのように自分に返ってくるようなところがありますので、人種を問わず、差別が問題になった話はあまり聞いたことがないように思います。

 

「差別がない」というのも、私がタイ・シンガポールに住んで楽だった理由の一つだと思います。

 

なお、タイで外国人扱いされて困ることの一つに、英語を話すのを嫌がる店員さんが寄ってこないことがたまにあります。人によってはこれを差別だと感じる人もいるかと思いますが、英語ができないことがコンプレックスだった時代もある私としては、これは店員本人の問題なので、別に差別ではないかなと思っています。

 

外国に外国人として生きること まとめ

 

タイ・シンガポールに外国人として生きることがなぜ楽なのかを自分なりに考察してみましたが、いかがでしたでしょうか?

 

個人的には、またいつか違う国にも住んでみたいです。

 

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