タイ新国王の誕生日にプミポン前国王の崩御を振り返る

バンコク

タイ国民に深く尊敬され、愛されていたプミポン国王が亡くなってから二年近くになります。
タイでは新国王ラーマ10世の誕生日7月28日(2018年は7月28日が土曜日だったため、30日月曜日に振り替え)が新たに祝日となりました。
前国王崩御の悲しみの余韻の中にあった去年とは異なり、新しい国王で気分一新というところなのだと思いますが、話を聞いていると、前国王のときほどのお祝いムードではないように感じられます。

 

そこで、国民に愛された、タイ前国王の業績を振り返ってみたいと思います。

学者肌だがバランス感覚に優れた政治家でもあったプミポン前国王

日本語ではプミポン国王と表記されることが多いですが、本来の通称はプミポン・アデゥンヤデート、本名はもっと長くていらっしゃいます。
チャクリー王朝第9代の国王ということで、ラーマ9世とも呼ばれます。後で息子のラーマ10世も出てくるので、ここでは分かりやすくラーマ9世で統一します。

 

最初は、兄のラーマ8世がタイ国王を継がれたので、弟であるラーマ9世には王位は回ってこないはずでした。
しかし、兄のラーマ8世がわずか20歳にして怪死を遂げたため、急遽、弟のラーマ9世が18歳で即位することになります。

 

ラーマ9世自身は学者肌の人であったらしく、表立った政治的な動きをすることは少なかったものの、いざというときに硬軟合わせた対応ができる方だったという話です。特に国内外で調停役として大きな影響力を及ぼしました。

有名なのは、1992年の「暗黒の5月事件」で対立する2陣営のリーダーを同時に目の前で正座させ、叱りつけ、事態が鎮静化した、という話です。

タイは4年に1回の頻度でクーデターをやっているお国柄ですが、国王が調停に入ることでバランスが取れる、国王がいればタイは大丈夫、という印象を国際的にも与えたのではないかと思います。

 

タイ国王は資産が多いので、亡くなられたときも世界一裕福な王族としてランクインしていましたが、一方で倹約家であったことを物語るエピソードもたくさん知られています。

「王室プロジェクト」と呼ばれる農村活性化のプログラムを自ら指導し、地方にも見回りに出て、地道に活動されるなど、国民の父として慕われていました。

晩年は体調を崩されることが多く、表に出てくることはあまりなかったのですが、危篤が伝えられたときは入院されている病院前で祈りをささげる人が引きも切らず、亡くなられた翌日には、町を歩くタイ国民の服が一斉に喪を示す黒に染まりました。

 

後にも先にも、あんなに多くの人の嘆きと祈りを見たことはなかった気がします。
私の周りで聞いても、不敬罪があることを差し引いても悪口を言う人はおらず、本当に国民に愛された国王様でした。

息子の新国王はタイでは印象が薄い?

その息子にあたる新国王は通称ワチラロンコーン、ラーマ10世で、御年66歳になります。

タイには王室に対する不敬罪があるのでうっかりしたことは言えないのですが、見たところ、国民感情としては、ラーマ9世ほどは慕われていないものの、そもそも本人がずっとタイにいないので、そもそもの印象が薄いように感じている人が多いように思われます。

タイでは町中に国王の肖像や写真がたくさん置かれていますが、10世の方はまだ少しずつ増えてきているものの、未だにラーマ9世を見るのが多いような気がします。

 

ご本人はずっと、息子がいるドイツにいると言われています。
そういえば、ちょうど2年前にドイツの空港ですごい(国王とは思えないようなラフ、かつ、品のない)恰好をしている写真を取られてしまっていましたが、その元のサイトはタイ国内からは閲覧制限がかかっていました。

 

2018年現在までに離婚三回、今のところ、正式な王妃に該当する人はいないことになっていますが、元タイ航空客室乗務員が四人目になるのではないかと噂されています。
(ちなみに、タイ航空の客室乗務員は、コネがなければ入るのが難しく、いいところのお嬢さんばかりだと言われています)

 

シリキット王妃と仲良く農村に出かけて行った前国王と比べるとかなりのギャップがあるようです。

新国王は現代にあった王室の在り方を確立できるか

ラーマ9世は70年という世界最長の在位期間で、タイの近代化と共に、ずっと王位にあり続けた人でした。タイの今に生きる世代の大多数は、ラーマ9世以外の国王を知らないことになります。

 

名君と言われた父親しかサンプルがない中、ラーマ10世がどのようなスタイルを確立できるかが、今後のタイ王室にとって大きな転換期となることでしょう。

 

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