今日はペヤからデチャニ修道院まで日帰りで足を延ばします。
ペヤからデチャニ修道院までの行き方
デチャニ修道院は、ペヤから南にバスで30分ほど向かったところにあるセルビア正教会の修道院です。
ここに向かうには、まず、バスでデチャニまで行きます。
ペヤにはバスターミナルは一つしかないので、前日にプリシュティナから着いた場所に向かいます。バスターミナルでは、ギャコヴァ(Gjakova)方面に向かうバスに乗り、途中のデチャニで降ろしてもらいます。
私はペヤ9:00発のバスにのり、デチャニには9:40頃に着きました。
コソボはどこもそうですが、町を出て少しすると牧歌的な美しい光景が広がります。これだけ見ていると、とても20年前まで紛争があったようには見えません。
デチャニは、道路上も地図上もバス停の目印が何もないのですが、Google Map上では「Capital – Decan」という表記がある辺りの向かいで降ろしてくれます。近くには、こんな↓石像が建っていました。
デチャニ修道院は、降ろしてもらったところの近くにあるロータリーからRruga Sal Cekuをひたすら西に行きます。距離にして1.5kmですが、ずっと登り坂なので思っている以上に時間がかかります。
修道院に近づくと、途中にKFORのバリケードが見えてきます。
あまり見慣れない光景なので、本当にここを通っていいんだろうかと思いました。が、良いようです。KFORの文字のあるところが見張り台になっていて、ここに人がいますが、怪しくなければ別に何も言われません。
私が行ったときは、この奥に、無造作に戦車が置いてありました。写真くらいは撮っても問題ないと思いますが、触ったり変なことをしない方が良いと思います。ここの兵士はガチで武装しています。
ガチ武装の修道院入場受付にびびり、修道院の美しさに心奪われる
修道院入り口の前に、簡易小屋があり、そこが修道院入場の受付カウンターになっています。
ペーチ総主教修道院同様、入り口でパスポートを預け、ビジターカードをもらいます。帰るときは、このビジターカードを渡すとパスポートを返してくれます。
ここの受付の人は、アサルトライフルを両手に構えたKFORの兵士であり、そういった人を見慣れていない私は最初見たときびっくりしました。
このデチャニ修道院は、2007年に手榴弾が投げ込まれるなど、未だ、世界危機遺産から解除されていません。「コソボの中世建造物群」に登録されている4つのセルビア正教会はみな同じような状況で、KFORの武装兵はそんな状況から守るために配置されていますが、武装度合から言っても、ここが一番状況を深刻にとらえられているように思われます。
デチャニ修道院は、正式にはヴィソキ・デチャニ修道院といい、セルビア王ステファン・ウロシュ3世デチャンスキによって1327年に建てられました。
色違いの大理石で建てられた外観がとても美しい、規模としてもかなり大きな修道院です。青い空、緑の芝生に白を基調とした大聖堂のコントラストは、ピサの大聖堂を思い起こさせました。
内部は例によって写真撮影禁止なのですが、ここのフレスコ画はかなり色鮮やかな状態で残っており、新約聖書の主な場面の宗教画だけでなく、1000を越える肖像画も残されています。14世紀のオリジナルのイコノスタシスも良い保存状態で残されており、重厚な金色に縁どられた色鮮やかなイコンには目を奪われます。
フレスコ画、イコンの保存状態は、私が今までに見た中でもかなり良い方ですので、そういうのが好きな方は是非行ってみてください。
緑がまぶしい芝生の周りには、修道僧たちの僧房や図書館などもあり、かなり大きな修道院であることが伺えます。
私が帰るときに入れ違いに2人くらい観光客が訪れ、バス停に戻る途中も登ってくる観光客らしき人に会うなど、チラホラと観光客が訪れていました。
デチャニからペヤへの戻り方
さて、バス停に戻ってペヤに戻ります。
デチャニのペヤ行きバス停も何も目印がなく、地図上で言うと下図の★あたりになります。修道院からRruga Sali Cekuを降りてきて、ロータリー奥の向かって左辺りです。
私のときは、どこから現れたのか、人がたくさんバスを待っていてすぐに分かりました。そうじゃなかったら分からないと思います。
ペヤ観光続き
ペヤに戻って、前日に見逃した観光地をいくつか回ります。
オスマン帝国配下だった都市の例にもれず、トルコ式公衆浴場ハマムなどもあるのですが、この独特の形状は上から撮らないと面白くないですね。
ペヤ地方博物館もあるのですが、展示品が少なく、すぐ見終わってしまいます。見たいものはだいたい見終わったので、もう一度、ペーチ総主教修道院に行くことにしました。
ペーチ総主教修道院再訪
デチャニ修道院に触発されて、教会づいていたというのもありますし、美しい渓谷にひっそりと佇むペーチ総主教修道院がいたく気に入ったというのもあります。
修道院に着くと、偶然なのか係なのか、昨日と同じ修道女が迎えてくれました。彼女も私を覚えていてくれたようで、「昨日も来ましたね」というので、「ここの雰囲気がとても好きなのです」と言うと、教会の成り立ちや絵画の説明をすこししてくれました。そして、前日は見逃した横の小部屋のカギも開けてくれました。こちらも天井だけですが、フレスコ画が残っています。
昨日のように、私が好き勝手に内部を見て回るのを辛抱強く待ってくれた後、外に出てからも少し教会とペヤの説明をしてくれました。そして、再会を約束して別れました。
修道女の名前はスベストラーナと聞こえました。日本語でこう表記するのが正確かどうか分かりませんが、もし、ペーチ総主教修道院を訪れる機会のある方がいらっしゃいましたら、そのような方がいらっしゃるか聞いてみてください。控えめですがとても親切な方で、別れたときの笑顔は今でも思い出すことができます。
再会の約束は2年半経って果たせていません。かなり年配の方でしたが、私がお会いしたときはとても元気でしたので、今もお元気だと信じています。
そんなやりとりもあって、このペーチ総主教修道院は、コソボの中でも忘れられない場所になりました。また、こういったセルビア人とのやりとりが積み重なって、コソボ紛争のときに散々宣伝されていた、セルビア悪玉論に疑問を抱き、翌年はセルビアに旅行に行くことになりました。
ペヤのリーズナブルな5ッ星ホテル
この日は少しちゃんとしたご飯を食べようと思い、ペヤ一番の高級ホテル ドゥカジニで夕食です。ローカルフードではなく、パスタを頼みましたが、ものすごく美味しいということはないけれど、特にまずいということもなく、普通に食べられました。
日本の感覚だと、それが普通だと思ってしまうのですが、2年後、アルバニアに行ったとき、美味しいどころか普通と思える料理もほとんどなかったことを考えると、同じアルバニア人が多いコソボのご飯が普通に食べられることは、今考えると、なんでこんなに違うのかが驚きです。
ドゥカジニホテルはこちら↓。殉教者広場に面していて、5ツ星のペヤ一番のホテルですが、1泊50 EUROからと信じられないくらいリーズナブルです。
明日は「コソボの中世建造物群」最後の目的地、プリズレンに向かいます。
※実際の旅行日は2016年4月です。記載した内容は、特に断りがない限り、全て旅行日の見聞に基づきます。





コメント
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[…] 建物として一番美しいと思ったのは、デチャニ修道院の白い大理石と青い空、緑の芝生のコントラストですが、一番印象が強いのはやはりペーチ総主教修道院です。 […]