今日はペヤからプリズレンまで向かいます。
ペヤからプリズレンへ
ペヤにはバスターミナルは一つしかないので、ここ二日日参している場所に今日も向かいます。ペヤからプリズレン行きのバスは1日6便ありますが、私は9:45ペヤ発に乗り、10:30頃プリズレンに着きました。
道中、ローマ時代の水道橋のような橋がいくつもあったりします。これはなんなんだろう。オスマン朝時代の様式なのかなと思ったりしますが、詳細不明です。
プリズレンはコソボの南方にあるこじんまりとした町で、イスラムの色が色濃く残った町です。と感じるのは、この町が、スィナン・パシャ・ジャミーアと呼ばれるモスクを中心に作られているからかも知れません。
ハマムもあります。私が行ったときは修復中でしたが、それを差し引いてもかなり綺麗な形で残っています。
町にはセルビア正教会、カトリック教会もあります。
世界遺産「コソボの中世建造物群」最後の一つ レヴィシケ生神女教会
この町の一番の目的は、世界遺産「コソボの中世建造物群」の一つレヴィシケ生神女教会です。ちなみに、「生神女」は「しょうしんじょ」と読むんだそうです。読めん。。。「神を生みし女」を意味し、正教会におけるキリストの母マリアに対する敬称だそうです。
この教会は12世紀のセルビア正教会の聖堂で、ペーチ総主教修道院同様、2004年に世界遺産登録された「デチャニ修道院」が2006年に「コソボの中世建造物群」として拡大登録された際、世界遺産リストに加えられました。同時に危機遺産にも加えられ、現在に至ります。
ここは、2004年3月17日に反セルビア人暴動がおこったときに、アルバニア系過激派住民に焼き討ちにされ、外観しか見学できなくなっています。入り口の門は鍵がかかっており、塀の上に鉄条網が張り巡らされていて入れません。聖ゲオルゲ教会で鍵を借りられるという話も聞きましたが、私が行ったときは、なぜか聖ゲオルゲ教会の方も閉まっていて入れなかったので、結局中は見れませんでした。
この地域の正教会ではよく見かける色使いのレンガ構成の教会ですが、無機質な鉛色の屋根との色の対比とバランスが美しいと思います。
近くに見張り小屋のようなものがありましたが、人がおらず、何のためにあるのか分かりませんでした。ここも昔はKFORの兵士が守っていたということなので、そのときの名残なのかも知れません。
民族紛争・宗教紛争については、私の知識が不足していて見解が述べられないため、この点に関するコメントは控えます。
ただ、歴史好き・遺跡好きとしては、歴史的価値のあるもの・文化的価値のあるものについては、後世までも残してほしいなぁと思う次第です。
プリズレンの町観光
プリズレンには、町の東に丘があり、その頂上はかつての城塞が残り、町を一望することができます。
丘自体はそれほど高くないのですが、ここまで登るのは、なめてかかると結構あります。途中の坂がきついです。坂道を上るのは年々辛くなっています。齢の分だけ蓄積した運動不足ですね。
城塞の上はこんな感じ↓。どこまでがオスマン朝時代の建物か分かりませんが、見晴らしは良いです。
城塞から町を一望。やはりモスクが一番目につきます。ちょっと分かりにくいですが、川を挟んで写真右端にハマムも見えます。
町と反対側に広がるのは渓谷。緑豊かで美しい国です。
この城塞では、インド系シンガポーリアンの男性に会いました。コソボではお互いにアジア人を見かけるのが珍しく、私がSingtelのメモ帳を持っていたこともあって、妙に盛り上がりました。
コーヒーをおごってくれましたが、1杯50円。めちゃくちゃ安いです。
プリズレンのファストフード店「テ・スラ」
さて、この日の夕食は、行きたいところがありました。
テ・スラ(Te syla)という、自動運転の会社ではなく、郷土ファストフードのレストランです。
プレスカヴィッツァは、簡単に言えばバルカン風ハンバーグ。屋台でも売っているファストフードですが、この店ではこんな↓感じで出してくれます。
何度も引き合いに出してアレですが、とにかくご飯がまずかったアルバニアとは同じ民族とは思えないほど、ファストフードでも美味しいです。
ここのプレスカヴィッツァは塩気がちょうどよく、肉の焼き加減も柔らかさも良かったです。
写真奥に映っている黄色いパッケージが、現地の定番ソフトドリンク アイランで、甘くない薄めのヨーグルトドリンクです。塩が入ってるそうですが、塩気は感じません。これが、肉のこってり感を打ち消してくれる効果があり、肉とあいます。インドのラッシーみたいな感じですね。
テ・スラの外観はこんな感じ↓。町の中心部にあり、川に面しているので分かり易いです。
モスクは夜ライトアップされていて綺麗です。ちょっと町は暗いので、細い道は避けた方が良いと思いますが、夜遅くでも女性の一人歩き出来るくらい治安は良いです。これだけ見ていると焼き討ちがあったというのが嘘のようです。
全然関係ないのですが、バルカン半島のシャワールームは、この↓ように、シャワールームだけ転がして持ってきたのをそのまま置いたようなタイプが多いです。入浴の習慣が違っていたのを、後から西洋に合わせて付け足したような感があり、この辺、どういう経緯なのか、詳しい人に聞いてみたい気はします。
明日はついにコソボを発ちます。
※実際の旅行日は2016年4月です。記載した内容は、特に断りがない限り、全て旅行日の見聞に基づきます。





コメント
[…] コソボ旅行 4日目:プリズレン […]
[…] コソボ旅行 4日目:プリズレンの焼き討ちされた世界遺産今日はペヤからプリズレンまで向かいます。 ペヤからプリズレンへ ペヤにはバスターミナルは一つしかないので、ここ二日日参 […]