早いもので、コソボの旅も今日で終わり、今日はマケドニアに移動します。
スコピエはアルバニア語でShkupと言う
プリズレンもバス停は一か所しかないので、マケドニアのスコピエに行くならここから出るしかないのですが、バス停にある時刻表では、どれがスコピエなのかが分かりません。
スコピエはアルバニア語表記でShkup(左側下から3番目)になるのですが、私はそれを知らず、このときは名前の想像もつかなかったので、バス停の係員さんに聞いてみると、紙に書いてくれました。
達筆です。
ホント、こういう親切はありがたいです。
というやりとりを前日の間にしていたので、この日は問題なく9時のバスに乗ることができました。
なお、スコピエまでは3時間半かかりました。途中国境をはさみますので、出国審査に時間がかかることはあまりないですが、場合によっては、マケドニアの入国審査に時間がかかり、移動時間ももっと長くなるかも知れません。
なお、コソボ・マケドニア間の出国・入国審査は両方とも、バスの中でパスポートを回収し、一括で処理した後、写真と本人の顔を見比べながら返してくれるパターンでした。
ボスニア・ヘルツェゴビナの入国時は、一人ひとりバスを降りてカウンターに並んだ記憶があります。
どういう基準で乗り込んで来るのか、降りる必要があるのか分かりませんが、初めての国に行くときはいつも、この国はどういう対応をするんだろうとワクワクしたりします。
コソボ旅行を振り返って
ペーチ総主教修道院にもう一度行きたい
今回の旅行は、「コソボの中世建造物群」を見に行くための旅行だったので、それ以外はほとんど見ていないのですが、印象が強いのもやはりこの正教会の大聖堂・修道院です。
建物として一番美しいと思ったのは、デチャニ修道院の白い大理石と青い空、緑の芝生のコントラストですが、一番印象が強いのはやはりペーチ総主教修道院です。
美しい渓谷の中に佇む外界から隔絶された修道院の静けさもさることながら、毎日訪れるであろう観光客相手に控えめながらも親切に心のこもった対応をしてくれた老修道女が忘れられません。今も再会の約束が有効であると信じて、是非、また再訪したいです。
ルゴヴァ渓谷も訪れてみたいですしね。
傍目には分からない紛争の爪痕
コソボ紛争自体は1999年にいったんの終結を見た後も、2004年に暴動が起こるなど、紛争に端を発した動乱は続いていました。
それから10年以上を経て、さすがに当時のような暴動・騒乱は影を潜めています。ニュース等でも全く聞かなくなりました。
町を歩いていても、記念碑や名所的に銃弾や爆発の跡を残しているところがあっても、今は、少なくとも観光客として訪れる分には全く分からない程度に町は回復しています。新しい建物が建ち、人々はそこで買い物をし、交通機関は麻痺することなく動き、軍隊らしきものはKFORのジープを探してやっと見つかる程度です。一見、この国は平和を取り戻したように見えます。
しかしながら、プリシュティナのバスで「グラチャニツァで降ろしてください」と言ったら、アシスタントさんに顔をしかめられた事実が示すように、表面はどうであれ、内心は良く思っていない人がたくさんいるのは事実でしょう。
私は「セルビア悪玉論」を持ち出してセルビアが悪いという気も、紛争後に暴露された、コソボ紛争の裏にアメリカの広告代理店のセルビア悪玉論宣伝があった話を持ち出してコソボやアメリカが悪いという気もありません。
ただ、私がこの年、コソボで会った人たちはとても親切でした。わずか4-5日の旅行で見えた範囲なので、本当は、きっと日本と同じように、嫌な人ももっと親切な人もいるんだと思います。
そして、私がこの次の年に行ったセルビアで会った人たちもとても親切でした。
正直、何が違うのか分かりませんでした。私がそれぞれの国に行って自分の目で確かめてそれぞれ感じた事実はそれだけです。
好き勝手に旅行できる自分の恵まれた環境に感謝!
いずれにせよ、どちらに肩入れすることもなく、変な偏見を持つこともなく、コソボ行ってセルビア行って、自分の目で確かめられる環境にあることは、本当にありがたいことだと思っています。
コソボから向かったマケドニアの話や、翌年のセルビアの話も、後日書きたいと思います。



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