老後資金は何のために貯めるのか
厚生労働省が2018年7月20日に発表したところによると、2017年の日本人の平均寿命は男性81.09歳、女性87.26歳だそうです。毎年のように過去最高を更新し続け、2017年も例に漏れず過去最高だったとか。
人生100年時代などと言われ、そんな老後を過ごすために必要な老後資金については検索すればいくらでも出てきます。
一方で、定年退職後は体力は衰えるばかり、老眼で文字も読みづらくなり、金と時間はあっても、若いころに比べたら体がついていかない状況でしょう。
体力も気力も一番充実している若い時に我慢して我慢して必死で貯めたお金を使う先は、ベッドに縛り付けられたままの延命治療費用、というのは私はぞっとしません。
個人的には、今、我慢せず、今、使いたい。
もちろん、老後と言っても、今時のお年寄りはみなさん元気ですし、リタイヤ後の生活を楽しまれている方もたくさんいらっしゃるのは知っています。
昔参加した海外旅行のツアーでは、90歳のおじいさんがいらして、大変好奇心旺盛な方でガイドさんにもたくさん質問をされていて、観光のペースも他の人と全く同じペースでついて来ていて、こんな風に歳をとりたい、こんな老後を迎えられるようになりたい、と思いました。
老後という不確かな未来に対する投資
一方で、老後という、誰にでもいつか必ず来る、目に見えない、全く不確かな未来に対して、日本人はどれだけ投資(というか貯蓄)すれば安心できるのでしょう?
せっかく貯めても、
- 実は先送りしてきたことは若いときではないと出来なかったことだと気づくのかも知れない
- 思っていたより若くして死んでしまい、全く使う機会がないかも知れない
- 思ったより長生きしたけれど、途中からベッドから動くのもままならない状況になってしまい、老後に楽しみにしていたことは出来ず、貯めたお金はほぼ治療費に使うかも知れない
もちろん、それぞれの生き方を否定する気は全くないし、前者は事故などの予測不可能な可能性もあるし、後者は家族が長生きしてくれることを望んだという場合もあるでしょう。
先延ばしが老後に達成できなかったときに後悔するのが怖い
ただ私は、若いときにできたはずのことを老後に先延ばし、結局上に書いたような理由でできなかったとき、人生の最後でそういう後悔をするのが恐ろしい。
まして、時間もお金もある老後になって取り掛かろうとして、実は若い時でないと出来なかったと気づいたときの悔しさはどれほどのものでしょう。
私がそんなことを考え始めたのは、私の父親が老後の楽しみにと長らく取っておいたかなり高価な寄木細工のキットを、いざ老後になったら老眼で細かい目が見えないからと二束三文で人に譲っていたのを見たときでした。
父は日本経済が右肩上がりの時代と完全に被る典型的な日本のサラリーマンで、毎日満員電車に揺られて定年まで勤めあげ、定年後もしばらく契約社員として働いていて、充実したサラリーマン生活を送っていたのだと思います。自分がサラリーマンになって、更に父のすごさが身に沁みました。
でも私は、キットを譲り渡す父を見て、とても複雑な気持ちになりました。
ほとんどの人間は死ぬときに同じような後悔をするものだ、という達観した意見もあるでしょう。
でも私はそこまで達観できないし、ほとんどの人間がそうだからと、私があがいてはいけない理由にはならないでしょう。
もし自分の寿命が分かっていたら
もし、自分の寿命が事前に分かっていたら、プロジェクトの見積もりのように、全体にかかるコストがいくらで、いつまでにどのタスクを終わらせてといったプロジェクト設計のような人生設計ができるのかも知れません。
でもそれは無いものねだりですし、「1年後に死ぬ」「1カ月後に死ぬ」「明日死ぬ」「今日死ぬ」という、死のカウントダウンが予め分かっている恐怖と闘うことを考えると、これはねだらない方が良いのかも知れません。
Death Noteでも自分の寿命は見えなかったですしね。少なくとも私には耐えられなさそうです。
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